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東京地方裁判所 平成8年(ワ)1585号 判決 1998年1月29日

平成八年(ワ)第二〇二五一号事件原告兼平成九年(ワ)第一五八五事件被告

古屋博

右訴訟代理人弁護士

宮﨑敦彦

平成八年(ワ)第二〇二五一号事件被告

松本暁彦

平成九年(ワ)第一五八五号事件原告

永瀬通子

右両名訴訟代理人弁護士

山村清

主文

一  平成八年(ワ)第二〇二五一号事件被告と平成九年(ワ)第一五八五号事件原告との間で平成八年六月一一日成立した別紙物件目録記載の建物の贈与契約を取り消す。

二  平成八年(ワ)第二〇二五一号事件被告は、前項の建物について、東京法務局城北出張所平成八年六月一一日受付第四八〇六六号始期付所有権移転仮登記の抹消登記手続をせよ。

三  平成九年(ワ)第一五八五号事件原告の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、平成八年(ワ)第二〇二五一号事件被告及び平成九年(ワ)第一五八五号事件原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求の趣旨

一  平成八年(ワ)第二〇二五一号事件

1  主位的請求

主文第一、二項と同旨及び訴訟費用の平成八年(ワ)第二〇二五一号事件被告の負担

2  予備的請求

主文第二項と同旨及び訴訟費用の平成八年(ワ)第二〇二五一号事件被告の負担

二  平成九年(ワ)第一五八五号事件

1  平成八年(ワ)第二〇二五一号事件原告兼平成九年(ワ)第一五八五号事件被告(以下「原告古屋」という。)から平成九年(ワ)第一五八五号事件原告(以下「原告永瀬」という。)に対する東京法務局所属公証人柳川俊一作成平成六年八七九号債務弁済契約公正証書に基づく強制執行は、これを許さない。

2  訴訟費用は、原告古屋の負担とする。

第二  事案の概要

一  本件は、貸金の連帯債務者が、その所有不動産につき、その子のために死因贈与契約に基づく仮登記をしたことから、貸主が、右子を相手に、主位的に、右行為が詐害行為に当たるとして取り消しを求め、予備的に、右死因贈与契約は虚偽による無効であることを理由に、債権者代位権に基づいて右仮登記の抹消を求めた事件(平成八年(ワ)第二〇二五一号事件)と、右連帯保証人が、連帯保証契約が錯誤による無効を理由に、右連帯保証契約に関する債務弁済契約公正証書について請求異議訴訟を提起した事件(平成九年(ワ)第一五八五号事件)が併合された事案である。

右事実関係に鑑み、本件では、先ず、連帯保証契約の錯誤の有無を検討し、その後、贈与契約に関する詐害行為性又は債権者代位権行使の可否を検討することとする。

二  当事者に争いがない事実

1  原告永瀬は、平成六年八月二三日に、訴外瀬間とし子(以下「瀬間」という。)の紹介で、訴外森田安一(以下「森田」という。)が融資を受けるために、原告古屋方を訪れた。森田は、原告古屋に対し、厚生年金の支払いを受けるまで金三〇〇万円を貸すように依頼し、そのときに、森田は同原告に対し厚生年金に関わる書類を呈示した。原告永瀬は、右森田の原告古屋に対する債務につき連帯保証し(以下「本件連帯保証契約」という。)、原告古屋、森田及び原告永瀬の間で、後記の公正証書の内容と同旨の契約が成立した。その際、森田及び原告永瀬は、強制執行受諾文言を含む公正証書の作成を承諾し、その作成嘱託事務を原告古屋に委任した。

2  原告古屋は、平成六年一二月八日に、東京法務局所属公証人柳川俊一に依頼して、平成六年第八七九号債務弁済契約公正証書(以下「本件公正証書」という。)を作成してもらった。本件公正証書には、「原告古屋は、森田に対し、平成六年八月二三日に金三〇〇万円を弁済期同年九月二三日、利息年一割五分、遅延損害金年三割の約で貸し付ける。原告永瀬は、森田の連帯保証人として森田の債務を保証し、森田と連帯して債務を履行する。原告永瀬が右の債務を履行しないときは、直ちに強制執行を受けることを認諾する。」との記載がある。

3  原告永瀬は、平成八年六月一一日に、その息子である平成八年(ワ)第二〇二五一号事件被告(以下「被告」という。)に対し、同原告所有の別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)につき、同原告の死亡を始期とする同日付けの死因贈与を原因として、東京法務局城北出張所同日受付第四八〇六六号をもって始期付所有権移転仮登記を経由した。

4  原告古屋は、本件建物につき、平成八年七月三〇日に東京地方裁判所の強制競売開始決定を得て、現在手続中である。

三  本件の争点

1  本件連帯保証契約等の錯誤の有無

(一) 原告永瀬及び被告

原告古屋が森田に三〇〇万円を貸すに当たり連帯保証人を要求し、また、森田が原告古屋及び原告永瀬らに対して厚生年金基金・一時金裁定通知書の原本を示した上で、平成六年九月九日に退職一時金六五四万七一〇〇円が支払われることとなっていると説明したこと等から、原告永瀬は、森田の右説明が真実であること及び森田による返済が確実に行われることを条件に保証するとの動機を明確に表示した上で、連帯保証及び本件公正証書作成の嘱託の委任に応じた。しかし、後に、右厚生年金関係の書類は森田において金額等を虚偽記入したものであることが判明したのであり、本件連帯保証契約及び本件公正証書作成嘱託委任契約は、いずれも原告永瀬の要素の錯誤により無効である。

(二) 原告古屋

保証の目的は、債務者が無資力となったことに備えるのであり、主債務者が返済することが確実であれば保証契約を締結する必要はない。従って、連帯保証契約において主債務者の資力に関する錯誤が動機の錯誤となり、かつ、それが表示されたとしても、要素の錯誤となるものではない。本件では、原告古屋は、森田が特例一時金により返済するのが確実とは信じられず、躊躇していたところ、原告永瀬が連帯保証人として責任を負うと強く懇願したことから森田に金員を貸したのであり、原告永瀬らが主張するような条件の話等はなかった。

仮に、要素の錯誤が認められるとしても、原告永瀬は、自ら森田の資力及び信用を確認しておらず、重過失がある。

2  詐害行為性等

(一) 原告古屋

原告永瀬は、登記簿によれば、平成八年六月一一日に被告に対し本件建物を死因贈与しているが、その当時、原告永瀬には、本件建物以外に本件連帯保証契約から生じる債務を満足させることのできる財産は無かった。

ところで、被告が死因贈与の仮登記のあることを知ったのは、平成八年(ワ)第二〇二五一号事件の訴状(以下「本件訴状」という。)の送達を受けた時であり、その時点で右死因贈与を追認したとしても、その時に本件訴状の記載内容から被告に詐害意思のあったことは明らかである。

仮に、死因贈与自体が存在しないのであれば、右仮登記は無効の登記であるから、原告古屋の連帯保証債権を保全するために、債権者代位権に基づき、被告に対し右仮登記の抹消を請求する。

(二) 被告

被告の祖父が本件建物を所有していた時から、被告の祖父母、原告永瀬、叔母等の間で、本件建物は被告に贈与されることが合意されていたが、贈与税等のために名義の移転は延び延びになっていた。そして、原告永瀬は、被告への名義移転のため、関係者の合意により相続を原因として本件建物の名義を取得したことから、祖父らとの右約束を実行すべく本件死因贈与の仮登記を行った。原告古屋の原告永瀬に対する本件連帯保証債権は、右贈与に後れて発生したのであり、原告古屋に取消権は発生しない。

また、被告は、祖母が死亡した平成六年五月当時には、本件死因贈与を経由することを合意しており、その時は勿論のこと、仮登記がされた平成八年六月一一日の当時も原告永瀬は別居していたから、被告は、原告古屋との債権債務を含む一切の原告永瀬の経済関係を知らず、本件死因贈与が債権者たる原告古屋を害すべき事実を知らなかった。

第三  争点に対する判断

一  本件連帯保証の錯誤の有無について

1  甲一、乙一ないし三(枝番を含む)、七、証人森田安一、原告永瀬本人に前記争いのない事実を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 原告永瀬の知り合いである森田は、日立製作所茂原工場に三二年間勤務した後に退職し、瀬間の紹介で金融業を営んでいる原告古屋から三〇〇万円を借り受けることとなり、平成六年八月二三日に、原告永瀬と瀬間を同道して、原告古屋方を訪れた。森田は、原告古屋に対し、厚生年金の支払いを受けるまで金三〇〇万円を貸すように依頼し、そのときに、同原告に対し、日立製作所厚生年金基金理事長の作成名義の厚生年金基金・一時金裁定通知書の原本を示した上で、平成六年九月九日に退職一時金六五四万七一〇〇円が支払われることとなっていると説明した。右証書には、右金額の特例一時金が右の日付で交付されることが記載してあったので、原告古屋は、その妻に命じて日立製作所の総務係に電話による確認をさせ、期日と金額に間違いがなかったので、森田に三〇〇万円を融資することとした。しかし、原告古屋は、森田とは初対面であったので、同人が貸金を返済するかに不安を抱き、原告永瀬に連帯保証するように依頼した。原告永瀬は、当時森田は妻と離婚し、かつ、資力がないことを聞いており、返済が一〇〇パーセント確実だとは思えず、嫌だと思ったが、森田の右一時金の説明を信じて、連帯保証に応じ、かつ、公正証書の作成嘱託事務を原告古屋に委任することとした。なお、原告永瀬は、原告古屋を紹介したことの謝礼として、森田から三万円を受領した。

(2) しかし、後に判明したところによると、森田は、退職一時金を平成六年六月七日に既に受領していたが、右厚生年金基金・一時金裁定通知書に、恣に平成六年九月九日に退職一時金六五四万七一〇〇円が支払われると虚偽記入し、また、日立製作所の総務係の職員に嘘の説明をするように頼んでいた。原告永瀬及び原告古屋は、いずれも、これらのことを右貸金当時知らなかった。

2  右認定事実によれば、原告永瀬は、森田の平成六年九月九日退職一時金六五四万七一〇〇円が支払われることとなっているとの説明が真実であると信じて、本件連帯保証契約及び本件公正証書作成嘱託委任契約を締結していることは明らかであり、同原告は、主債務者である森田の虚偽行為により、保証責任を追及されることはないものと誤信して右各契約を締結したのであり、右各契約を締結するに当たって動機において錯誤があることは明らかである。しかしながら、原告永瀬らは、原告永瀬が森田の右説明が真実であること及び森田による返済が確実に行われることを条件に保証するものであるとの動機を明確に表示した上で、連帯保証及び本件公正証書作成の嘱託の委任に応じたと主張するが、右表示を認めるに足りる的確な証拠はない。したがって、この点において錯誤の主張は失当である。

もっとも、森田の右虚偽行為は原告古屋の面前で行われており、原告永瀬が右各契約を原告古屋との間で締結するに当たり、右動機を表示した可能性があるので、原告永瀬がこれを表示したことを前提としても検討することとする。前示のとおり、原告永瀬は、森田が退職一時金から原告古屋に対して返済することから保証責任を追及されることはないものと誤信しているが、右錯誤は、要するに、主債務者である森田の資力に関する錯誤である。そして、保証の目的は、債務者が無資力となったことに備えるのであり、原告永瀬も本人尋問において、本件連帯保証契約を締結するに当たり、この点を承知していたことを認めている(本人尋問調書三二項)。しかも、本件においては、原告古屋が、森田の説明等にかかわらず、貸金を返済するかに不安を抱いたことから原告永瀬の保証を求めたのであり、これに応じた原告永瀬も、その場に同席していたことから、そのことを十分に把握していたものと認められ、かつ、森田に資力のないことを認識していたのである。その上に、原告古屋が、本件連帯保証契約等に右の条件を付することを承諾したことを認めるに足りる証拠はない。そうすると、原告永瀬が右の動機を表示したとしても、同原告は右錯誤にかかる事態のあり得ることを容認して右各契約を締結しているのであり、要素に錯誤があるということができず、右各契約が無効となるものではない。

二  詐害行為性等について

1  甲二ないし四、原告永瀬本人によれば、同原告が本件建物につき被告に対する死因贈与の仮登記をした平成八年六月一一日当時は、同原告には、本件建物以外にも僅かな宝石を有するが、それらは高額なものではなく、本件建物以外には本件連帯保証契約から生じる債務を満足させることのできる財産はなかったことが認められる。

2  乙六、八、原告永瀬、被告本人によれば、次の事実が認められる。

被告の両親である原告永瀬と松本太郎が昭和四八年に離婚した後、被告は、母方の祖父母の下で育てられてきた。祖父は昭和五四年六月に、祖母は平成六年五月にそれぞれ死亡したが、祖父が本件建物を所有していた時から、祖父母とともに本件建物を被告に贈与すると話しており、祖母の存命中も、原告永瀬や叔母等の面前で、本件建物は被告に贈与すると口頭遺言していた。祖母の死亡時に原告永瀬らにおいて贈与手続を実行しようとして調査したところ、三〇〇万円の贈与税が課せられることが判明し、名義の移転は延び延びになっていた。本件建物は、被告の祖父の所有名義となっていたが、祖母の死亡後に、被告の叔母が右口頭遺言を尊重して相続放棄をし、平成七年一一月一七日に原告永瀬の単独名義で相続登記が行われた。原告永瀬は、被告との相談を一切行うことなく、平成八年六月一一日に本件建物につき被告に対する死因贈与の仮登記をしたが、被告は、本件建物が原告永瀬名義となったことも右仮登記がなされたことも本件訴状を受領するまで知らなかった。なお、被告は、原告永瀬と長年の間別居して生活をしており、同原告の経済状態を一切知らない。

3  右認定事実によれば、被告の祖父や祖母は、本件建物を被告に贈与する意図を有していたことは明らかである。しかし、右認定の事実のみによっては、祖父又は祖母と被告との間で、確定的に被告に所有権を移転するとの意思の下で、贈与契約が締結されたとは認め難く、他に祖父又は祖母との間の贈与契約の成立を認めるに足りる証拠はない。よって、被告の祖父又は祖母との贈与契約を実行するために本件死因贈与の仮登記を行ったとの主張に理由がない。

4  次に、本件仮登記の原因となっている原告永瀬と被告との間の平成八年六月一一日付けの死因贈与契約については、原告永瀬が被告と相談することなく一方的に行っているのであって、右時点では、無効のものというべきである。

ところで、被告は、その答弁書において、本件死因贈与契約の成立を認めているのであり、前認定の事実も合わせて考慮すると、被告は、本件訴状送達後、答弁書作成までの間に、原告永瀬が単独で行った本件死因贈与契約を追認したものと認められ、右追認された本件死因贈与契約は平成八年六月一一日に遡って効力を有するものというべきである。そして、このように受益者の追認によって有効となる法律行為の詐害意思の有無は、追認時における受益者の意思に依るものと解すべきところ、被告による右追認時には、被告は、本件訴状を読み、本件死因贈与契約が原告永瀬の債権者である原告古屋を害することを知っていたことは明らかであり、原告古屋は、債権者取消権に基づき、本件死因贈与契約を取り消すことができるもとのというべきである(なお、右追認が認められないとしても、右事実関係によれば、本件仮登記は登記原因を欠く無効の仮登記であることは明らかであるから、前認定の原告永瀬の資力を考慮すると、原告古屋は、債権者代位権に基づき、被告に対して右仮登記の抹消を請求し得る。)。

第四  結論

そうすると、原告古屋の本件主位的請求は、いずれも理由があるから認容し、原告永瀬の原告古屋に対する請求は、理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六五条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官南敏文)

別紙物件目録<省略>

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